特別であることについて

 

 

生きている価値がある、意味があるとはどういうことだろう。

 

 

何かを誰かに残し、誰かに認められることだろうか。

 

誰か大勢の人にあなたがいて良かったと、特別な人だと思ってもらえることだろうか。

 

 

そもそも特別な人ってなんだろうか。

 

 

芸能人は特別な人だと思っていた。

彼らはみんなに求められている。価値のある人間なんだと思う。

 

その一方で、少し人気が陰ると一気に忘れられていく、嘘のように、本当に忘れられていくのだ。

 

果たしてそれは特別と言えるのだろうか。

本当に特別ならば、いつまでも唯一の人として存在できるはずではないのか。

 

そう仮定するなら、今でも生き残っている昭和のスターは特別だろうか。

彼らはいつまでも忘れられることなく、テレビに君臨しているように見える。

 

本当にそうだろうか。

 

昭和の時代に生きていた人間にとっては彼らは特別かもしれない。青春を共に生きたかけがえのない存在なのかもしれない。

しかし、平成生まれにとっては、

 

 

「なんかへんなおばさんをおじさんたちが崇めているぞ?!」

 

「どうした?!どうした?!????」

 

くらいの感じではないのか。

だとしたら、彼らもやっぱり、昭和の人間とともに忘れられていくだけ、ちょっと顔が広いだけの凡人ではないのか。

 

 

特別というのは、ほとんど成り立たないような気がする。

 

 

親は子供にとっては特別であり、ある人は誰かにとって特別な友達、恋人であるかもしれない。

 

しかし彼らがみんな死んでしまえば、自分が自分として生きている理由などどこにも見当たらないんじゃないのか。

 

アイデンティティなどまるで意味をなさないんじゃないのか。

 

だとしたら、人間は承認欲求など起こさずに、セミのように、生まれて子孫を残して死んでいくだけでいいんじゃないのか。

 

いや、そもそもどうせ子孫だっていつか死ぬのになんで残すのか。

 

深く考えていくと、本当に生きる理由が見当たらなくなって来る。

 

かといって、数少ないながらも自分を惜しんでくれる人がいるにもかかわらず、わざわざ死ぬという選択肢も取れない。

 

ばかじゃないのかと思う。なんだかとてもみじめだなぁと思う。

 

生きることってどんなに考えてみても、ずっと結論が見えない。

 

 

生きてる価値なんて、どこにも、誰にもないのかもしれない。